6/25/2006

効率の良いトレーニングとは何か(Specificity and Progression)

■ トレーニングは細かいメニューより全体像こそが重要,とコーチングの教科書にはよく書いてある.そして全体像を考える手がかりの基本は, Specificity(特化)・Progression(漸進性)・Overcompensation(超回復)といったトレーニングの原則である.以 下,真剣なアスリート,コーチなら当たり前の話ばかりになるだろうが,一つのケー ススタディとして,トレーニング負荷に対し筆者のヒルクライムTT能力が如何に変化したかを実測データを基に述べ,それがトレーニング原則 (Specificity, Progression)の観点から自然なものであったことを述べる.またトレーニングの原則と,アスリートの時間的・体力的制約とを考慮した,トレーニ ング時間構成の検討を行う.

Fig. 1

Table 1

■ 図1は,筆者が昨年6月(PowerTapを購入)してから,現在までのトレーニング時間を,強度レベル (L2~L6)毎に,3週間単位で集計したもの である.尚,強度レベルの定義はCoggan's Power Levelsに従っており,筆者の場合は表1のようになる.尚,L2の下にL1という強度もあるが,これはアクティブリカバリーレベルなので,トレーニン グ時間には加算していない.実際にはL1の時間も結構ある.

※グラフ上に3箇所の“谷”(2005/7~8,2005/9, 2005/11~12)があるのは,故障等の理由でPowerTapによる記録を行っていなかったためである.
ま た 図1の赤点線は,それぞれの期間,ある20分間に発揮できたNormalized Power(NP)の最高記録(20MNP)を示している.筆者の場合20MNPは,Functional Threshold Power(FTP,1時間持続可能な平均最大パワー)のおよそ92%となるため,1時間前後のヒルクライムTTの成績を予測する良い指標となる.


図1より,20MNPの向上がもっとも大きい期間(2005/12~2006/3)は,L4レベルのトレーニングが段階的に増やされた時期に呼応してい る
尚,表1から分かるように,L4とは即ちFTP付近の強度に他ならない.Specificityの原則から考えて,上記はごく自然な結果と考えられる.

Fig. 2

■ 次に,図2(緑線)は同じ期間のTraining Stress Score(TSS)値の変化を示している.TSS値というのは,強度(パワー)と時間の双方を加味したトレーニング負荷量であり,実際にどれくらい「頑張っ た」のか定量化できる.
TSS の提唱者Andy Cogganは,適切なトレーニング効果を得るためには平均して100~150TSS/day(2100~3150TSS/3weeks)が必要と言っていた(うろ覚え).
※この辺を詳しく参照したい方は,Wattageの"TSS Scores"というスレッドをご覧頂きたい.

筆 者の場合,平均90~110TSS/day(1890~2310TSS/3weeks)の範囲に落ち着いてしまう.これは1) 回復力,2)睡眠時間・仕事時間といった制約から,ムリの無い値がある程度決まってくるためと考えられる.経験上,130TSS/day (2730TSS/3weeks)以上は,私には維持困難ではないかと思う.


Fig. 3

■ さてTSS の上限が分かってくると,次はTSSという「予算」をいかに振り分ければ,所望のパフォーマンスという「効果」をより多く得られるかという「費用対効果」 を 検討することが望ましい.また同じTSSでも,一般人には(もちろん,プロレーサーにとっても多少制約が緩いだけで)時間制約が存在するから,
「時間対効果」も考えねばならない.強度を上げれば短時間に多くのストレスを印加することができる訳だが,狙った以上に強度をあげてしまうと,狙った代謝系以外へのストレスばかり増え,所望の効果を得ることなくTSSという予算を浪費してしまう.

図3は,図1の縦軸を 時間からTSSに変更したものである.ここまでお読み頂いた読者(長文恐縮)には自明であろうが,まずSpecifityの原則からL4に最大のTSSを振り分けることは,「費用対効果」の観点から有効らしい.

だがここでもう一点注意して頂きたい.
著しい 向上があったらしい2005/10~2006/3にかけては,段階的にL4のTSSが上昇している.そしてその後も結構なTSSがL4に充てられているのに,それほど20MNP向上が見られなくなっている.こ のことは,Progressionの原則に沿っていると考えられる. つまり能力向上のためには,段々と当該強度における TSS(強度・ボリューム・頻度)を上昇させる必要があるということだ.“実り多き”2005/10~2006/3にかけては,それ以前になかった高いストレスがL4の代謝系へと 印加され,20MNPが向上したと見られる.その後もL4に注力してはいるが,以前と同じかそれ以下のストレスしかかかっておらず,大きな向上に結びつかなかったと考えられる.

■Andy Cogganによれば(よらなくても?),L2(別名:LSD)・L3(別名:テンポ)からL4までは,エネルギー代謝系に対するトレーニング効果は一緒 だということである.昔の記事に書いたかもしれないが,要は動員される代謝系が一緒なので,効果も同じということである.この説が正しいならば,L2でも L3でもL4でもいいから,L2~L4の合計TSSが増えるように兎に角走れ!!という結論になる.ただ,それらの「時間対効果」には明確な差異がある.

参考として,図4に2005/1~2006/6までの筆者のトレーニング時間と走行距離を公開する.記録のつけ方がややマチマチだが,2005/8頃まで LSD(+Tempo少々)を比較的多くこなしていたため,トレーニング時間だけみればこの頃の方がやや多い. ちなみにそのさらに昔,記録さえつけていなかった時期,平均的に15~20hour/weekほど乗っていた時期もあったが,(恥ずかしながら)たいして 速くなっていなかっ た.
おそらく当時はSpecificityかProgression,あるいはその両方を満たしていなかったので あろう.表1に示すように,同じ1時間でも,LSD(L2)はL4の約半分,Tempo(L3)は2/3のストレスしか生じないため, 2005/10~2006/3の1.5~2倍乗っていなければ,同様程度なトレーニング効果は期待できないと推測されるが,そこまで多くは乗っていなかっ たらしい.

Fig.4

FTP が重要となる多くのアスリートにとって,L2 やL3によるベーストレーニングの重要性は昔から神話的に叫ばれている.また,L2やL3は負荷が低く障害を起こし難いというメリットもある.ただしある 程度経験を積んでしまった後は,上記の筆者の例に見られるように,
かなり膨大な時間を「投資」しない限り,20MNP(ひいてはFTP)の向上に至るようなストレス量(TSS)のProgressionを得られなくなるのではないか.このため,L4トレーニングの導入による「時間対効果」の見直しは,FTP向上の行き詰まり打破に有効と考えられる.

ま た,「時間対効果」の高いL4トレーニングでも,十分なトレーニング時間(頻度・回数)を割かない限りやがてストレス量のProgressionが失わ れ,「費用対効果」が頭打ちとなるだろう.すると経験を積んだアスリートに対して「ブロックトレーニング」を導入し「集中投資」を行うコーチが多いのも自 然に思える.

■ 無論,「費用対効果」や「時間対効果」には個人差もあろう.またVO2MaxとLT(FTP)の関係をご存知の読者なら,必ずしもL4トレーニング=LT やFTPの向上ではないこともよくご存知と思う.ただ,それらの個人傾向を検出するツールとして,少なくとも筆者にとっては,上記のようにパワーメータは 有効であった.

■備考
(1) Overcompensationは,またデータを集めてから書こうと思います.
(2) 図1,図3のようなトレーニング時間,TSSの遷移を出力する機能は,筆者も愛用するCycling Peaks Software(CPS)には無く,今回はデータ集計にてこずりました.


8 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

やっぱりパワーメーターしかないっすね!

tarmac2006 さんのコメント...

ご来訪ありがとうございます.記事が尻切れトンボになっててすみません.このところ忙しくて,続きが全然書けません(泣)

匿名 さんのコメント...

はじめまして。

とても為になる記事で、何度も読ませていただきました。その中で、気になった点がいくつかあります。

期間中トレーニング強度の基準が見直された形跡がありません。L4の強度はずっと240Wとされたのでしょうか?
(だとすればパフォーマンスが向上している状況で同強度でもL3となっていた部分があるのでは?)

気温や湿度などの外的要因がパフォーマンスやトレーニングに与える影響などもあると思われるところですね。
私も自転車初心者ですが、これからパワー計測機器を導入し調査したいと思います。

匿名 さんのコメント...

連続投稿すいません。

漸進性に従うなら、L4の基準を見直すべきで、
>その後もL4に注力してはいるが
のL4が期間後半のtarmacさんにとってはL3域となっていてしまったのではないか?ということです。
パフォーマンスの向上が停滞しているのは本来のL4域でできていなかったためなのか?L4域でやっていてもこのような期間で効果の頭打ちがくるのか?
気になるところです。

どのようにお考えでしょうか?

tarmac2006 さんのコメント...

ご来訪ありがとうございます.記事を簡単にした(or 手を抜いた)部分にお気づきになられたようですね(汗)


>期間中トレーニング強度の基準が
>見直された形跡がありません。
>L4の強度はずっと240Wとされ
>たのでしょうか?

⇒ Noです.実は,Functional Threshold Power(FTP)は2回(2006/2,2006/6)変更し,ゾーンを再計算しています.「L4の典型的な強度」も数W上がっています.
# 記事では表1 一枚で済ませて手を抜きました(笑)


>(だとすればパフォーマンスが向上
>している状況で同強度でもL3とな
> っていた部分があるのでは?)

⇒ 上記の理由によりNoです.
尚,たとえゾーン見直しを行わなかったとしても,少なくとも10%以上のFTP向上が短期間(e.g., 数週間~1ヶ月)に生じない限り,(ご指摘のような)L4範囲からの定常的な逸脱は必ずしも起こりえないでしょう.
そして既に一定の経験を積んだアスリートにとって,中々そのようなFTP向上は得られないとの理解です(私がまさにそうだと思います).


> 気温や湿度などの外的要因が
> パフォーマンスやトレーニング
> に与える影響などもあると思わ
> れるところですね。

⇒ 気温・湿度などは心拍数には影響を与えますが,出力を見てワークアウトを行う限り,それらのワークアウト内容への影響は大部分排除できると思います.
経験上は,気温・湿度より,(累積的ならびに短期的な)疲労の方が,遥かに影響大でした.


> パフォーマンスの向上が停滞して
> いるのは本来のL4域でできてい
> なかったためなのか?L4域でや
> っていてもこのような期間で効果
> の頭打ちがくるのか?

⇒ 以上述べた理由により後者と考えます.
しかしご存知の通り,トレーニングに対する身体適応特性は個人差が大きく,サンプル数=1の結論を他のアスリートに演繹するのは必ずしも適切ではありません.
このため本記事では,パワーの継続的測定により,個人の身体適応特性を把握すること自体が,パワーメータの有効な利用法の一つであると結言いたしました.


以上,素人の僅かな経験とサンプル数=1を基にした話ですが,何かしらご参考になれば幸いです.

匿名 さんのコメント...

めちゃくちゃ参考になると思いますが。
日本でパワーメーターを実際にトレーニングに導入していて経過結果の類を考察・公開までしている人はほとんどゼロですからね。

匿名 さんのコメント...

返答ありがとうございます。

tarmacさんのブログは物凄く為になります。
livestrongさんのブログも。

基準値に関して、やはり、見直していましたか。
これほどの隙の無いtarmacさんが、素人の私にも気付くようなミスは犯さないですよね。
長期におけるトレーニングの一断面という側面からも、安易に結論付けるのは不適当なのでしょう(プラトーと向上期がありますし)が、やはり内容と効果を関連付けるに大きな意味があると思います。

近日中に私もパワーメータを導入、計画的なトレーニングを実施する予定です。

教えていただくばかりでなく、何かフィードバックできるようにしたいと思っています。

tarmac2006 さんのコメント...

私も立派な素人なんですが(笑) 過去記事を読み返すと「あ!」という隙がたくさんあります.SORAさんのように鋭い方もいらっしゃるので,あまりうかうか書けませんよ.

仰る通り,プラトー期と向上期,これは必ずあると思います.そしてプラトー期には「それまでやっていなかったことをいろいろやってみるとよい」というのが一つの経験則だと思いますが,このとき 1)どの能力がどの時期に伸び,2)どの時期にプラトーだったのか,そして3)どの時期に何をやっていたのか,の定量的な記録(e.g., パワー-デュレーション関係,TSS等)は,自分にとって有効な「それまでやっていなかった何か」を見つけるために,とても便利だと思います.

 

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